3・11から二年

 あれから二年が経過しました。

 8日、「子どもと区民を放射能から守る葛飾連絡会」のみなさんが、先月行った放射線測定の結果にもとづき、今日の時点であらためて、葛飾区に対して対策を求めました。
 葛飾区の広報、放射線対策室などの課長さんたちが対応しました。
2013年2月+2..
 福島では子どもたちを継続的に健診していますが、葛飾区は場所によっては福島よりも高い地域があります。
 区は「(子どもたちの健康に)影響はあるかも知れないし、ないかも知れない」という立場。
 そして「国の示した基準にもとづき」「都の施設は都の責任で」という態度。

 しかし、影響があることがわかってからでは、もう手遅れです。

 国や都にならうのが役所の慣例なのでしょう。
 しかし、地方自治は憲法の大原則の一つです。
 国いいなりの姿勢が悲劇を生み出した、戦前戦中の痛恨の反省の上に、地方自治の原則が確立されました。

 それなのに、「国や都のいいなり」があたりまえでは「地方自治体」の名が泣きます。

 自主的判断にたった対策の強化を求めました。

 9日には、立石地域の共産党後援会主催のシンポジウム「あれから2年、今被災地は?葛飾は?」が開催されました。
 気仙沼市役所に職員として出張している方や、放射線技師、そして天野区議候補と和泉なおみ都政対策委員長らと一緒に私もパネラーとして参加しました。

 会場から浪江町出身の方が「兄が避難生活を送っているが、仮設住宅で一生を終わらせさせたくない。共産党が頑張っているのはよく知っています。原発は絶対になくしてほしい。」と発言していました。

 10日は「原発ゼロ☆大行動」に参加しました。


 私の名づけの親の秀一郎伯父さんが89歳でなくなり、通夜と告別式が営まれ、なつかしい従兄妹たちと再会しました。
 棺には、絵筆とスケッチブックがおさめられていました。
 学芸大の教授で、若い頃は剣道部の監督も務めていたそうですが、なによりも絵描きとしての人生をまっとうされた方でした。 

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プロフィール

新井杉生

Author:新井杉生
 1959年2月、埼玉県吉田町(現・秩父市)の農家に生れる。子どもの頃から山や川が遊び場で、今もテントを背負って山々を巡るのが夏の楽しみ。
 77年原水爆禁止世界大会に初参加以来、反核・平和運動にかかわり、現在も原水爆禁止葛飾協議会常任理事。
 81年から共産党専従、同年結婚。保育士の妻との間に4女に恵まれる。84年に民主青年同盟葛飾地区委員長、その後、同・東京都常任委員の後、足立や葛飾の党地区委員会勤務を経て、13年から葛飾地区委員長。
 09年から総選挙(東京17区)に出馬(同年は葛飾区長選挙も挑戦)、14年は39,724票(得票率18.8%)。
 葛飾区高砂6丁目で、妻、四女、猫2匹と暮らす。

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