中島辰猪没後80年

 戦前、青戸無産者診療所長として、地域の農民らに「医療は国民のもの」と献身的に診療を行い、わずか29歳で命を失った医師・中島辰猪の法要が、命日を翌々日にした10日、お墓のある青戸の法問寺で営まれました。

 この墓碑は、1965年に葛飾の国民救援会の人たちが建立したものです。
 私の家のすぐ近所の理昌院には、中島よりも3歳年下で、やはり29歳で無くなった不屈の共産党員・古川苞の墓がありますが、古川の父親が青戸無産診療所の開設に尽力したのだそうです。
 絶対主義的天皇制の暗黒政治のもとで、若い二人が励ましあい、力をあわせていたことでしょう。

 昭和三陸津波の際には、この青戸診療所が手狭になったため移転した亀有無産診療所の渡辺宗治医師が、岩手県で救援活動を行い、活動開始後すぐに検束されたのだそうです。

 東日本大震災で、被災地のたくさん共産党震災・救援センターがつくられ、大勢の共産党員がボランティアとして活動しています。
 私たちのこうした活動の源流となる、戦前のたたかいのゆかり人たちを、これからも顕章していきたいと思います。

 中島辰猪没後80年の記念集会が、16日、亀有地区センター・ホール(駅前リリオビルの7F)で開催されます。
 ぜひ、お出かけ下さい。


 先日、江戸川区東小岩の日本共産党後援会・こぶしの会の新年会が開かれ、獅子舞が披露されました。

 踊っているのは、小俣のり子区議会議員です。

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プロフィール

新井杉生

Author:新井杉生
 1959年2月、埼玉県吉田町(現・秩父市)の農家に生れる。子どもの頃から山や川が遊び場で、今もテントを背負って山々を巡るのが夏の楽しみ。
 77年原水爆禁止世界大会に初参加以来、反核・平和運動にかかわり、現在も原水爆禁止葛飾協議会常任理事。
 81年から共産党専従、同年結婚。保育士の妻との間に4女に恵まれる。84年に民主青年同盟葛飾地区委員長、その後、同・東京都常任委員の後、足立や葛飾の党地区委員会勤務を経て、13年から葛飾地区委員長。
 09年から総選挙(東京17区)に出馬(同年は葛飾区長選挙も挑戦)、14年は39,724票(得票率18.8%)。
 葛飾区高砂6丁目で、妻、四女、猫2匹と暮らす。

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