こんにちは。日本共産党葛飾地区委員長の新井杉生です。
軍事同盟から平和の共同体へ。格差と貧困から人間らしい働くルールと安心できる社会保障へ。個人の尊厳が守られ民主主義の花開く社会を、ご一緒につくりましょう。
教育資料館
葛飾区水元にある教育資料館。旧水元小学校の校舎を使っています。今では23区で唯一残された木造校舎。区の文化財にも指定されています。
この資料館の廃止条例を明日の区議会本会議で可決しようとしています。

しかし、この資料館の値打ちは校舎だけではありません。
戦前の教育とはどんなものだったかが、手に取るようにわかる資料が豊富に保存されているからです。

教室のすみにおかれたご真影の入った箱。
本来は校庭に建てられた奉安殿に鎮座し、前を通る時には、敬礼することが強制されていました。

また、この校舎は1942年4月。真珠湾攻撃のわずか半年後にあった本土への初の空襲で最初に犠牲になった場所でもあります。
その時のB25からの銃弾と銃痕。

14歳の石出巳之助さんが犠牲になりました。

校舎に対し、どの方向から銃撃されたのかも示されています。

また、学童疎開の様子も展示されています。

しかし、この資料館の圧巻は戦前の教科書が手に取ってみることができることではないでしょうか。

小学校の歴史は、天照大神から教えられていました。
今でもアメリカの一部の州では、アダムとイブから歴史が教えられているという話を聞いたことがありますが…。

チュウギという賞では、部下を救うために立派に戦死したと、讃えられています。

軍艦についての章も。

戦前からの教科書がたくさん保存されています。
惜しむらくは、戦前と戦後でどのように、教育が変わったのかがわかりにくいこと。たくさんの資料が生かし切れていないように感じました。
しかし、近代日本の教育の歩みを、まさに手に取って理解を深めることができる貴重な教育資料館です。
近隣諸国とも、歴史認識がおおきな問題になっているときに、せっかく当時の歴史教育などの貴重な資料を公開している資料館を廃止することなど、絶対に止めなければなりません。
この資料館の廃止条例を明日の区議会本会議で可決しようとしています。

しかし、この資料館の値打ちは校舎だけではありません。
戦前の教育とはどんなものだったかが、手に取るようにわかる資料が豊富に保存されているからです。

教室のすみにおかれたご真影の入った箱。
本来は校庭に建てられた奉安殿に鎮座し、前を通る時には、敬礼することが強制されていました。

また、この校舎は1942年4月。真珠湾攻撃のわずか半年後にあった本土への初の空襲で最初に犠牲になった場所でもあります。
その時のB25からの銃弾と銃痕。

14歳の石出巳之助さんが犠牲になりました。

校舎に対し、どの方向から銃撃されたのかも示されています。

また、学童疎開の様子も展示されています。

しかし、この資料館の圧巻は戦前の教科書が手に取ってみることができることではないでしょうか。

小学校の歴史は、天照大神から教えられていました。
今でもアメリカの一部の州では、アダムとイブから歴史が教えられているという話を聞いたことがありますが…。

チュウギという賞では、部下を救うために立派に戦死したと、讃えられています。

軍艦についての章も。

戦前からの教科書がたくさん保存されています。
惜しむらくは、戦前と戦後でどのように、教育が変わったのかがわかりにくいこと。たくさんの資料が生かし切れていないように感じました。
しかし、近代日本の教育の歩みを、まさに手に取って理解を深めることができる貴重な教育資料館です。
近隣諸国とも、歴史認識がおおきな問題になっているときに、せっかく当時の歴史教育などの貴重な資料を公開している資料館を廃止することなど、絶対に止めなければなりません。
4年ぶりの石巻
まずは、日和山へ。
海岸付近に山積みされていた自動車の残骸など、きれいになくなっていました。
病院も跡形もなく…。

門脇方面へ下りると、かさ上げ工事で道路がすっかり変わり、復興公営住宅の建設もおこなわれていて、日和山ちかくの家は新築され、灯がともっていました。
女川へ。
こちらも、高台にある病院に負けない高さに街全体のかさ上げ工事が行われ、石巻線女川駅には温泉も。
みんなで駅前の足湯につかりました。
女川原発の敷地の中を、ダンプカーが走り回っているのが見えます。
PR館も再開されていました。
3・11でぎりぎりまで津波が押し寄せ、外部電源も3系統中1系統しか生き残らなかった…。
まさに危機一髪。
一歩まちがえば、石巻も人が住めなくなっていたかもしれないのに、再稼働をめざすのでしょうか?

仮設住宅は、だいぶ空き部屋がめだちました。
すこしでも早くみなさんまともな住まいを得らればいいのですが。
それにしても、ここは積水ハウスの仮設だそうです。そのほかにも、一流メーカーがたてたそうですが。
後付けの風除室の波板がそろっていない有様です。

三浦かずとし県議をなんとしても、ふたたび県議会に押し上げていただきたい。
住民のみなさんに訴えました。
海岸付近に山積みされていた自動車の残骸など、きれいになくなっていました。
病院も跡形もなく…。

門脇方面へ下りると、かさ上げ工事で道路がすっかり変わり、復興公営住宅の建設もおこなわれていて、日和山ちかくの家は新築され、灯がともっていました。
女川へ。
こちらも、高台にある病院に負けない高さに街全体のかさ上げ工事が行われ、石巻線女川駅には温泉も。
みんなで駅前の足湯につかりました。
女川原発の敷地の中を、ダンプカーが走り回っているのが見えます。
PR館も再開されていました。
3・11でぎりぎりまで津波が押し寄せ、外部電源も3系統中1系統しか生き残らなかった…。
まさに危機一髪。
一歩まちがえば、石巻も人が住めなくなっていたかもしれないのに、再稼働をめざすのでしょうか?

仮設住宅は、だいぶ空き部屋がめだちました。
すこしでも早くみなさんまともな住まいを得らればいいのですが。
それにしても、ここは積水ハウスの仮設だそうです。そのほかにも、一流メーカーがたてたそうですが。
後付けの風除室の波板がそろっていない有様です。

三浦かずとし県議をなんとしても、ふたたび県議会に押し上げていただきたい。
住民のみなさんに訴えました。
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