こんにちは。日本共産党葛飾地区委員長の新井杉生です。
軍事同盟から平和の共同体へ。格差と貧困から人間らしい働くルールと安心できる社会保障へ。個人の尊厳が守られ民主主義の花開く社会を、ご一緒につくりましょう。
安倍政権が暴走するほどに、ひろがる国民の怒りと行動
自民党若手議員の会合での暴言が、怒りの火に油を注いでいます。
あまりに“正直”な言論弾圧発言が、この党の現在の体質をさらけ出しました。
それにしても、百田氏は普天間基地が住民を銃剣で脅して収容所に入れ、役場や学校や集落をブルドーザーで押しつぶして作られた事実を、本当に知らないのでしょうか。
それとも知っていてウソを広めようとしているのか。
さらに「沖縄のどこかの島でも、中国にとられれば(沖縄県民も)目を覚ますはずだが…」との発言に至っては、まさに本音は、沖縄を守ろうとしているのではなく、ただ単に戦争したいだけであることを証明したと思います。
そして、かつて戦争末期に沖縄を捨石にした戦争指導者らと、まったく同じ体質であることを示しています。
今日は、亀有駅で無所属の水摩区議と共産党との合同宣伝が行われました。

党区議団や和泉なおみ都議とともに、私も訴えました。
先日行われた「戦争立法反対かつしか区民集会」にも、これまでにない参加となりました。
中村武夫元葛飾区議会議長からは「政党色関係なく、一人の日本人として固く反対を表明」とのメッセージが届き、案内状を送った区内のお寺やキリスト教会のうち、6人の方から署名の協力や募金、寺院名の公表までの返答が届いたそうです。

さいわい天気ももちこたえ、アピールのパレードも無事行われました。

今日の亀有駅の宣伝では、防衛大を卒業し海上自衛隊で最後は高速艇の艦長まで務められた方も署名に応じ、「今の自民党は、まったく何を考えているのか…」と述べていたそうです。
あまりに“正直”な言論弾圧発言が、この党の現在の体質をさらけ出しました。
それにしても、百田氏は普天間基地が住民を銃剣で脅して収容所に入れ、役場や学校や集落をブルドーザーで押しつぶして作られた事実を、本当に知らないのでしょうか。
それとも知っていてウソを広めようとしているのか。
さらに「沖縄のどこかの島でも、中国にとられれば(沖縄県民も)目を覚ますはずだが…」との発言に至っては、まさに本音は、沖縄を守ろうとしているのではなく、ただ単に戦争したいだけであることを証明したと思います。
そして、かつて戦争末期に沖縄を捨石にした戦争指導者らと、まったく同じ体質であることを示しています。
今日は、亀有駅で無所属の水摩区議と共産党との合同宣伝が行われました。

党区議団や和泉なおみ都議とともに、私も訴えました。
先日行われた「戦争立法反対かつしか区民集会」にも、これまでにない参加となりました。
中村武夫元葛飾区議会議長からは「政党色関係なく、一人の日本人として固く反対を表明」とのメッセージが届き、案内状を送った区内のお寺やキリスト教会のうち、6人の方から署名の協力や募金、寺院名の公表までの返答が届いたそうです。

さいわい天気ももちこたえ、アピールのパレードも無事行われました。

今日の亀有駅の宣伝では、防衛大を卒業し海上自衛隊で最後は高速艇の艦長まで務められた方も署名に応じ、「今の自民党は、まったく何を考えているのか…」と述べていたそうです。
沖縄への家族旅行
還暦を迎えた妻のお祝い旅行に、娘たちが招待してくれることになりました。
目的地は本人の希望で沖縄に。
写真は広大な嘉手納基地。3700m規模の滑走路が二本。右側にある海に向かって伸びています。
ちなみに、那覇空港は3000mが1本で、つい先日も自衛隊ヘリが離陸する旅客機の前を横切り、その後ろからも別の機が着陸してあわやという、過密状況です。

左端の道路わきからの階段を上ると「安保の見える丘」と呼ばれる高台です。
今は道の駅の屋上から広大な基地を見渡すことができます。
辺野古の新基地建設反対の座り込みテントを訪問した後、東村高江へ。
大阪から流れ着いたという青年に一時間近く説明してもらいました。
写真の電線のすぐ上をオスプレイが通過し、乗員たちの表情まで見えるそうです。

ここも、7月から24時間体制の監視活動になるそうです。
不屈のたたかいに頭がさがります。
辺野古のテント村でもらったチラシに、その日の夜、翁長知事を先頭とする沖縄県の訪米団の活動についての、名護市主催の報告会が開かれることがわかり、行ってみました。
稲嶺市長と渡久地県議(訪問団々長)が報告し、会場からの質問に答えました。
今回の訪米のこれまでの訪米との最大の違いは、辺野古に基地はつくらせないことを、要請や陳情ではなく、主張するために行ったことだそうです。

会談の際にはスライドにあるような海上保安庁の暴挙も含め、セルラースタジアムでの35000人の集会の写真なども見せ、説明したそうです。
翌日は那覇市の不屈館へ。
瀬長亀次郎さんの生涯と、沖縄の現在のたたかいが豊富な資料で、展示されています。

今、翁長知事や稲嶺市長をはじめ、オール沖縄のみなさんは、瀬長さんのように闘おうと思っているにちがいありません。
沖縄の過去と現在につながる不屈の魂が伝わってきました。
そして、最後は若者たちのパレード。
中高年としては、最後尾をご一緒させていただきました。

県庁前ひろばを出発し、ゆいレール沿いに歩いて国際通りを戻ってくるコース。
高校生や大学生の若者たちが、マイクを握ってスピーチ。
戦後70年。沖縄と日本の今にたいしてまっすぐと見つめ、沖縄戦を学び、これから歴史に主体的にかかわろうとする思いをストレートにぶつけていました。
瀬長さんの不屈の魂のバトンが確実に引き継がれようとしていることを実感しました。
70年前、妻の叔父は知覧から沖縄にむけて出撃し、帰りませんでした。19歳でした。
その叔父への鎮魂の思いもあり選んだ沖縄の地でした。
得難い体験をすることができました。
目的地は本人の希望で沖縄に。
写真は広大な嘉手納基地。3700m規模の滑走路が二本。右側にある海に向かって伸びています。
ちなみに、那覇空港は3000mが1本で、つい先日も自衛隊ヘリが離陸する旅客機の前を横切り、その後ろからも別の機が着陸してあわやという、過密状況です。

左端の道路わきからの階段を上ると「安保の見える丘」と呼ばれる高台です。
今は道の駅の屋上から広大な基地を見渡すことができます。
辺野古の新基地建設反対の座り込みテントを訪問した後、東村高江へ。
大阪から流れ着いたという青年に一時間近く説明してもらいました。
写真の電線のすぐ上をオスプレイが通過し、乗員たちの表情まで見えるそうです。

ここも、7月から24時間体制の監視活動になるそうです。
不屈のたたかいに頭がさがります。
辺野古のテント村でもらったチラシに、その日の夜、翁長知事を先頭とする沖縄県の訪米団の活動についての、名護市主催の報告会が開かれることがわかり、行ってみました。
稲嶺市長と渡久地県議(訪問団々長)が報告し、会場からの質問に答えました。
今回の訪米のこれまでの訪米との最大の違いは、辺野古に基地はつくらせないことを、要請や陳情ではなく、主張するために行ったことだそうです。

会談の際にはスライドにあるような海上保安庁の暴挙も含め、セルラースタジアムでの35000人の集会の写真なども見せ、説明したそうです。
翌日は那覇市の不屈館へ。
瀬長亀次郎さんの生涯と、沖縄の現在のたたかいが豊富な資料で、展示されています。

今、翁長知事や稲嶺市長をはじめ、オール沖縄のみなさんは、瀬長さんのように闘おうと思っているにちがいありません。
沖縄の過去と現在につながる不屈の魂が伝わってきました。
そして、最後は若者たちのパレード。
中高年としては、最後尾をご一緒させていただきました。

県庁前ひろばを出発し、ゆいレール沿いに歩いて国際通りを戻ってくるコース。
高校生や大学生の若者たちが、マイクを握ってスピーチ。
戦後70年。沖縄と日本の今にたいしてまっすぐと見つめ、沖縄戦を学び、これから歴史に主体的にかかわろうとする思いをストレートにぶつけていました。
瀬長さんの不屈の魂のバトンが確実に引き継がれようとしていることを実感しました。
70年前、妻の叔父は知覧から沖縄にむけて出撃し、帰りませんでした。19歳でした。
その叔父への鎮魂の思いもあり選んだ沖縄の地でした。
得難い体験をすることができました。
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