こんにちは。日本共産党葛飾地区委員長の新井杉生です。
軍事同盟から平和の共同体へ。格差と貧困から人間らしい働くルールと安心できる社会保障へ。個人の尊厳が守られ民主主義の花開く社会を、ご一緒につくりましょう。
民青がボランティア報告会を開催
これまでに葛飾から、石巻の日本共産党救援センターで活動したボランティアは26チーム・のべ456人に上ります。
青年たちが、活動を通じて感じたことや今後のことを語りあう集いを開催しました。
写真は、活動報告する天野裕也さん。
これまで5回、被災地のボランティアに参加しています。

私も、ゲストスピーカーとして、共産党のボランティア活動の歴史や考え方、実際の支援活動や被災地の現在の状況と求められる課題などをお話しました。
ところで、原子力規制委員会が発足した途端、こともあろうに、記者会見から「しんぶん赤旗」を排除しました。許されるものではありません。
「これでは『言論規制庁』でないか!」との批判がわきおこっています。
しょせんこの委員会は、推進側の環境庁のもと、原子力委員会委員長だった田中俊一氏が責任者の機関です。
これまで、九電やらせメールをはじめ、悪事を暴いてきた「しんぶん赤旗」をどれほど恐れているかを露呈したかたちです。
さっそく、この話題を「しんぶん赤旗」の読者拡大で、説得の決め手として活用させてもらいました。
「原子力ムラの連中がこれほど嫌っている『しんぶん赤旗』を、ぜひ、ご購読下さい!」
青年たちが、活動を通じて感じたことや今後のことを語りあう集いを開催しました。
写真は、活動報告する天野裕也さん。
これまで5回、被災地のボランティアに参加しています。

私も、ゲストスピーカーとして、共産党のボランティア活動の歴史や考え方、実際の支援活動や被災地の現在の状況と求められる課題などをお話しました。
ところで、原子力規制委員会が発足した途端、こともあろうに、記者会見から「しんぶん赤旗」を排除しました。許されるものではありません。
「これでは『言論規制庁』でないか!」との批判がわきおこっています。
しょせんこの委員会は、推進側の環境庁のもと、原子力委員会委員長だった田中俊一氏が責任者の機関です。
これまで、九電やらせメールをはじめ、悪事を暴いてきた「しんぶん赤旗」をどれほど恐れているかを露呈したかたちです。
さっそく、この話題を「しんぶん赤旗」の読者拡大で、説得の決め手として活用させてもらいました。
「原子力ムラの連中がこれほど嫌っている『しんぶん赤旗』を、ぜひ、ご購読下さい!」
首都直下型地震でシンポ
昨日、首都直下型地震から都民の命と財産を守ため、革新都政をつくる会による「五つの提言」を発表する集いが開催されました。
写真は、その内容を報告する中山事務局長。

「提言」は、革新都政をつくる会のHPでご覧いただきたいと思います。
集いでは、石巻の三浦一敏県議をはじめ、阪神淡路大震災からの復興に取り組んできた方や、震災や土木の専門家によるミニシンポがありました。
「個人財産への補償は行わないという冷たい態度の国や兵庫県の姿勢にくらべ、2000年の鳥取地震の際には、当時の片山善博知事が直接被災地に何度も足を運んだうえ、『橋をつくっても人が住んでいないなら意味がない』と、開発予算を削ってその分で、一人あたり300万円の個人補償をおこなった。震災対策は、やはり住民の暮らしを大事にする政治をつくっておくことが大切」
「先日も、津波の直撃を受けながら小中学生全員の命を守った『釜石の奇跡』についてNHKが報道していた。子どもらが率先して非難した。しかし、これに対比されるのが石巻の『大川小学校の悲劇』だ。浦山に逃げようという子どもの声も聴かず、50分間も点呼などにおわれたあげく犠牲になった。規則ばかりを優先した日常の運営がこうした結果になった。大阪などでしばりつけるような教育規制をもてはやす動きがあるがとんでもないこと」
シンポの最後の発言はとりわけ印象的でした。
大変豊富な内容の集いでした。
写真は、その内容を報告する中山事務局長。

「提言」は、革新都政をつくる会のHPでご覧いただきたいと思います。
集いでは、石巻の三浦一敏県議をはじめ、阪神淡路大震災からの復興に取り組んできた方や、震災や土木の専門家によるミニシンポがありました。
「個人財産への補償は行わないという冷たい態度の国や兵庫県の姿勢にくらべ、2000年の鳥取地震の際には、当時の片山善博知事が直接被災地に何度も足を運んだうえ、『橋をつくっても人が住んでいないなら意味がない』と、開発予算を削ってその分で、一人あたり300万円の個人補償をおこなった。震災対策は、やはり住民の暮らしを大事にする政治をつくっておくことが大切」
「先日も、津波の直撃を受けながら小中学生全員の命を守った『釜石の奇跡』についてNHKが報道していた。子どもらが率先して非難した。しかし、これに対比されるのが石巻の『大川小学校の悲劇』だ。浦山に逃げようという子どもの声も聴かず、50分間も点呼などにおわれたあげく犠牲になった。規則ばかりを優先した日常の運営がこうした結果になった。大阪などでしばりつけるような教育規制をもてはやす動きがあるがとんでもないこと」
シンポの最後の発言はとりわけ印象的でした。
大変豊富な内容の集いでした。
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