青年ボランティア

 8月初旬に行った時に、救援センターに山積されていた物資はだいぶ減っていました。連日、仮設住宅などで無料バザーを行っています。
 この日は、比較的大きな仮設住宅地。青年たちも元気に活躍しました。
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 保育士さんたちは、紙芝居の上演です。
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 東京の青年ボランティアの宿舎として、数年前に閉店したサウナの施設を無償で提供していただいており、大広間に雑魚寝です。
 しかし、洗面台はあるのですが水がでない。使えるのは小さな土間の水道が1つだけ。

 青年の付き添いで参加した私には、到着した日の夜に「洗面台を使えるようにする」ミッションを命ずる電話がかかってきました。 
 しかし、こういう仕事の経験はありません。蛇口をつけ水が出るようにすることなどが、私ひとりでできるだろうか。Mission Impossibleです。

 その夜、構想を練り、早朝、葛飾の水道屋さんの川島さんに電話し状況と構想を伝え、アドバイスをもらいました。そして簡単な図面を描いてホームセンターで店員さんに相談。
 塩ビのパイプやジョイントなど必要なパーツを購入し、現場で切った貼ったの加工。
 その結果、一万円以下の経費で、ほぼ構想どおりに蛇口を設置することができました。
洗面台P2011_0819_131831
 翌日、20名ちかい若い女性たちが宿泊し、それぞれ洗面台を使い鏡にむかっていました。

原水禁2011年世界大会・長崎に参加して

 今年の原水爆禁止世界大会で「非核平和のアジアを-連帯と交流」の分科会に参加しました。
 私は、昨年の核不拡散条約(NPT)再検討会議でニューヨークで街頭署名を行いました。肌の色も階層も越えて多くの人が署名に協力してくれましたが、唯一アジア人だけはまったく冷たい態度でした。アジアのなかの日本の位置を、ニューヨークであらためて思い知らされたと思いました。
 今、アジアには原発が、韓国に20機、中国は11機、インドにも18機存在します。導入を計画する国も少なくありません。福島第一原発の事故であきらになったように、ひとたび近隣諸国で過酷事故があれば、黄砂にのって、あるいは冬の日本海の北風にのって日本が汚染されるのは明らかです。世界の人々と手をとりあって被爆と被曝の危険を取り除くために、日本に何が必要なのか。


 分科会では、日本、韓国、中国、アメリカの代表がパネリストをつとめ、会場からネパールやイギリスの代表も発言していました。
 参加者からの質問は、「中国の草の根の運動とは?草の根の交流は可能?」「中国は『先制核攻撃しない』『原発は安全性を最優先』の政府の態度を国民は概ね支持しているというが、核攻撃されたら核で反撃するのか。原発への態度は安全神話そのものでは?」など、中国の代表への質問が目立ちました。
 あえて言えば「核の先制不使用」を表明し、「核兵器禁止条約の交渉開始」に賛成している核保有国の中で唯一の政府です。中国からもっと大勢の草の根の代表を世界大会に送ってもらい、交流ができればと感じました。

 会場の青年から、「若者の間でも韓流ドラマやアイドルグループが人気を呼んでいる。こうした状況がもっと広がれば戦争しようなんて思わないのでは」との発言もありました。
 しかし両国の青年たちが本音の付き合いをすれば、日本青年は必ず、自国の加害の歴史や政府の態度にあまりに無知で無関心であったことを恥じざるを得ない状況に置かれています(バイオリニストの諏訪内晶子さんもかってジュリアード音楽院で経験したことを自著で述べていました)。根本にあるのは侵略戦争美化の教科書さえ認定する文科省に象徴されるような、日本政府の態度です。
 しかもそのうえ、戦後日本はアメリカとの同盟を優先して、軍備増強を続けてきました。
 「9条の会」が発展していることが、どれほどアジアにおける日本の名誉を守っていることでしょうか。

 熊本の被爆者が自らの経験と決意を発言されました。
 アメリカで被爆証言をした時、必ず「ではパールハーバーはどう思うのか?」と聞かれ「本当に申し訳なかった」とお詫びしたそうです。そして三回目からは、最初にお詫びを述べるようにし、その上で被爆の実相を語り、核兵器の禁止を呼びかけたそうです。すると多くの人から握手を求められるようになり、ハグさえされたそうです。そして「これからはアジアで語ろう。率直にお詫びしよう。そうすればアメリカで起きたことが、アジアで起きないはずはない」と述べました。
 会場からは大きな共感の拍手がおきました。

 わたしたち自身がアジアの国民と草の根の交流をひろげること。その際、加害の歴史への態度を明らかにすることが、非核のアジアをつくるための連帯に不可欠です。
 そしてなにより「アメリカいいなり」から脱し、アジアに対して真摯な態度で向き合う政府をつくることこそ、現代を生きる日本国民のがんばりどころだと思います。

除染

 事務所の雨樋の下は、1.3μSv/h(!)でしたが、泥をとり買ってきた砂利をしきつめたらおよそ0.3μSv/h以下に落ち着きました。

 猛暑が続きます。
 例年、テントを背負ってアルプスを歩くはずが、ことしは急に持病のアキレス腱の炎症が再発。そのうえ足首をかばっていたら今度はこれも持病の「分裂膝蓋骨」が騒ぎ出しました。
 足首と膝を保冷剤で冷やす日々です。

 明日から、葛飾の民青のみなさんが石巻にボランティア。
 私も、ドライバーの補助をかねて行ってきます。
 足がこんな状況ですので、若い人の足手まといにならなければいいのですが…。

放射線の測定と除染を

 やっと手に入れたサーベイメーターで、事務所のまわりの側溝を測ったら、0.43μSv/h。

 福島県の白河市に匹敵します。場所によっては1.0μSv/hを越える場所も。福島市なみです。さっそく掃除をしなければなりません。
 ご自宅やご近所がホットスポットかどうか、ご心配な方がいらっしゃたら連絡下さい。一緒に測定して、対策を考えましょう。

 葛飾区も児童遊園の砂場の測定を始めました。足立区や江戸川区では、高いところは砂を入れ換えるそうですから、葛飾区も他区に倣うでしょう。

 ますます、学んだり、行動したりすることが必要です。

 党の新小岩地域の実行委員会が、21日にシンポジウムを開催します。午後1時30分から新小岩北地区センターです。
 ぜひ、お出かけください。 

原水爆禁止2011年世界大会・長崎

 7日から9日まで長崎へ。


 今回は非核のアジアを・交流と連帯の分科会に参加しました。 
 中国、アメリカ、韓国、日本のパネリストに加え、ネパールやイギリスからの参加者も発言しました。

 持っているテープはアメリカの予算の内容を色分けしたもの。
 赤い部分が軍事費。予算の60%を占めています。

 分科会終了後、平和公園付近を歩きました。
 浦上天主堂です。

 9日、雨模様の天気の中で、葛飾の被爆者団体が「葛飾の木」の前で献水式を行いました。

 今回の世界大会には、長女夫婦が中野原水協から、三女は杉並原水協から参加。会場やら平和公園やらですれ違いました。

第四次ボランティア

 津波の直撃を受けた、海に近い門脇小学校くの西光寺。

 5月に初めて石巻に来た時、この墓地の墓石がなぎ倒された惨状を見て「この片付けは重機だけでは絶対に無理。人手がどれほど必要だろう」と思ったのですが、今回、まさにそこが私たちの活動場所。

 作業開始。

 午後2時30分、作業終了。(何も変わってない?)
 墓石を組み直すのは素人の手には負えません。私たちはその作業をしやすくするためのドロ出しです。

 私達が作業している間にも、本堂では二組のお葬式が営まれていました。
 
 震災後、火葬場の不足を危惧した石巻市は、市営のグランドなどを仮埋葬の場所とし、遺体は土葬されました。
 今、それらの遺体を掘り起こし、あらためて火葬。骨壷に入れ本葬が行われています。

 遺族の抱える遺影は50代の男性や10代の女の子…。その若さに息を飲み、震災被害の大きさを実感します。
 

 お墓の泥だしは、まるで遺跡の発掘作業のようです。
 実際、写真の緑の軍手の向こうそばの観音様の石造は、ヘドロの中から出てきたもの。

 墓穴の中でドロ出しをしながら、「オレも何時か、こういう所に入るんだよなぁ」などと思いながら、穴の底までさっぱりとさらいました。


 最終日は無料バザー。
 事前の告知もないどころか、実施場所さえもアポなしの「突撃」です。

 今日は、ある保育園が、駐車場を快く提供してくれました。

 早速、ご近所にアナウンス。
 「日本共産党の救援センターです。支援物資のお届けにまいりました。ただいま○○保育園の駐車場をお借りして、支援物資を無料でお配りしています。お米やジャガイモ。たまねぎ、にんじん、卵。洗剤や衣類もあります。ぜひ、○○保育園にお出かけ下さい」と、いいながら回りました。

 あるおばあさんは、津波で家を流され、最近になってやっと避難所暮しから開放されたそうです。しかし借家暮らしも大変です。お米や衣類なども持っていかれたそうです。

 こうしたふれあいが、ボランティア参加者の心に刻まれます。


 帰りに寄った道の駅では、復興を願って夏のイベントの真っ最中。粋なお姉さんが太鼓をたたき演歌を歌っていました。

 明日からは、原水爆禁止世界大会参加のため、長崎に行ってきます。
プロフィール

新井杉生

Author:新井杉生
 1959年2月、埼玉県吉田町(現・秩父市)の農家に生れる。子どもの頃から山や川が遊び場で、今もテントを背負って山々を巡るのが夏の楽しみ。
 77年原水爆禁止世界大会に初参加以来、反核・平和運動にかかわり、現在も原水爆禁止葛飾協議会常任理事。
 81年から共産党専従、同年結婚。保育士の妻との間に4女に恵まれる。84年に民主青年同盟葛飾地区委員長、その後、同・東京都常任委員の後、足立や葛飾の党地区委員会勤務を経て、13年から葛飾地区委員長。
 09年から総選挙(東京17区)に出馬(同年は葛飾区長選挙も挑戦)、14年は39,724票(得票率18.8%)。
 葛飾区高砂6丁目で、妻、四女、猫2匹と暮らす。

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