4年ぶりの石巻

 まずは、日和山へ。
 海岸付近に山積みされていた自動車の残骸など、きれいになくなっていました。
 病院も跡形もなく…。
日和山_convert_20151006131301
 門脇方面へ下りると、かさ上げ工事で道路がすっかり変わり、復興公営住宅の建設もおこなわれていて、日和山ちかくの家は新築され、灯がともっていました。

 女川へ。
 こちらも、高台にある病院に負けない高さに街全体のかさ上げ工事が行われ、石巻線女川駅には温泉も。
 みんなで駅前の足湯につかりました。
 
 女川原発の敷地の中を、ダンプカーが走り回っているのが見えます。
 PR館も再開されていました。

 3・11でぎりぎりまで津波が押し寄せ、外部電源も3系統中1系統しか生き残らなかった…。
 まさに危機一髪。
 一歩まちがえば、石巻も人が住めなくなっていたかもしれないのに、再稼働をめざすのでしょうか?
女川原発_convert_20151006131412
 仮設住宅は、だいぶ空き部屋がめだちました。
 すこしでも早くみなさんまともな住まいを得らればいいのですが。
 それにしても、ここは積水ハウスの仮設だそうです。そのほかにも、一流メーカーがたてたそうですが。
 後付けの風除室の波板がそろっていない有様です。
仮設大橋団地ー_convert_20151006131608
 三浦かずとし県議をなんとしても、ふたたび県議会に押し上げていただきたい。
 住民のみなさんに訴えました。

被災地支援「2014年新春のつどい」に271名

 都知事選挙により大幅に延期した、恒例のバス旅行が9日に実施されました。
 原発ゼロ全国大統一行動に呼応し、「ただちに原発ゼロを」の大判ポスターを8台のバスに貼りだしました。

 まもなく大震災から三年目。
 スパリゾートハワイアンズには1000人以上がはたらいているそうです。昨年のとりくみでは、まだ全面営業していませんでした。映画「フラガール」に見られるように、地域経済に大きな役割をはたしきました。
 宴会場では総支配人の方からお礼のあいさつをいただきました。

 参加したみなさんは、小名浜の観光物産センターでのお買い物なども楽しみ、わすかではありますが復興のお手伝いに参加することができました。

 地区委員会では、4月中旬に、第17次となる石巻への震災ボランティアの派遣も計画しています。

3・11から二年

 あれから二年が経過しました。

 8日、「子どもと区民を放射能から守る葛飾連絡会」のみなさんが、先月行った放射線測定の結果にもとづき、今日の時点であらためて、葛飾区に対して対策を求めました。
 葛飾区の広報、放射線対策室などの課長さんたちが対応しました。
2013年2月+2..
 福島では子どもたちを継続的に健診していますが、葛飾区は場所によっては福島よりも高い地域があります。
 区は「(子どもたちの健康に)影響はあるかも知れないし、ないかも知れない」という立場。
 そして「国の示した基準にもとづき」「都の施設は都の責任で」という態度。

 しかし、影響があることがわかってからでは、もう手遅れです。

 国や都にならうのが役所の慣例なのでしょう。
 しかし、地方自治は憲法の大原則の一つです。
 国いいなりの姿勢が悲劇を生み出した、戦前戦中の痛恨の反省の上に、地方自治の原則が確立されました。

 それなのに、「国や都のいいなり」があたりまえでは「地方自治体」の名が泣きます。

 自主的判断にたった対策の強化を求めました。

 9日には、立石地域の共産党後援会主催のシンポジウム「あれから2年、今被災地は?葛飾は?」が開催されました。
 気仙沼市役所に職員として出張している方や、放射線技師、そして天野区議候補と和泉なおみ都政対策委員長らと一緒に私もパネラーとして参加しました。

 会場から浪江町出身の方が「兄が避難生活を送っているが、仮設住宅で一生を終わらせさせたくない。共産党が頑張っているのはよく知っています。原発は絶対になくしてほしい。」と発言していました。

 10日は「原発ゼロ☆大行動」に参加しました。


 私の名づけの親の秀一郎伯父さんが89歳でなくなり、通夜と告別式が営まれ、なつかしい従兄妹たちと再会しました。
 棺には、絵筆とスケッチブックがおさめられていました。
 学芸大の教授で、若い頃は剣道部の監督も務めていたそうですが、なによりも絵描きとしての人生をまっとうされた方でした。 

水元公園の放射線測定会にご参加を

 今日、2月20日は小林多喜二の没後80年の日。生きていれば今年110歳だそうです。
 
 戦後政治の途方もない破たんのなかで、大きな岐路を迎えている今、あらためて、多喜二の切り開こうとした大事業を受け継ごうとしている者の、端くれの一人として、決意を新たにしたいと思います。

 来る24日、子どもと区民を放射能から守る葛飾連絡会が、水元公園の放射線測定を行います。

 東京都当局は、市民の運動と党都議団の追及で、昨年わずか二か所だけ除染を行いましたが、不安はぬぐえるものではありません。
 今年も4月には「子どもまつり」の開催が予定されます。
 「会」として改めてきめ細かく測定し、結果によっては厳しく警鐘をならさなければなりません。

 どなたでも、参加できます。測定器は区役所に電話して予約することが可能です。

 ぜひ、ご参加下さい。

7か月ぶりの、救援・復興ボランティアへ

 私自身は11度目となる石巻。

 震災直後、門脇小学校近くの墓地は、墓石がヘドロに埋まりなぎ倒されていました。
 一年半前、炎天下で気の遠くなるようなドロ出し作業が、数カ月に渡って続けられました。
 そして今、墓石は林立し見事に再生していました。

 しかし…。

 日和山公園の柵には、かってここから見えた景色がパネルになっていました。
 あれから二年近くが経過するというのに、いまでも下の写真のような風景です。
 門脇地域で、復興したのは、大勢のボランティアが頑張った墓地だけとは…。


 大勢の子どもたちが犠牲になった、大川小学校です。

 「なぜ、うらの山に避難しなかったのか」の声が出されたそうです。
 コンクリートの壁の絵画が残る向こう側には、「低学年でも5分で安全な場所に登れる」と報道された山の斜面が見えます。 

 気仙沼市には、津波で打ちあげられた330トンの巻き網漁船「第十八共徳丸」の巨体が、そのままになっています。

 石巻市で現在も仮設住宅で避難生活をしている方は、七千世帯を超えます。
 しかし、供給のめどがたっている復興住宅は、民間からの借り上げをいれても一千戸程度。

 いったい、いつまで仮設で暮らさせるつもりなのか?!

 これかも、ねばり強く支援をつづけたいと思います。

救援・復興ボランティア、募集!

 あけましておめでとうございます。

 震災から1年10か月が経過しましたが、石巻市だけでも、仮設やみなし仮設、自宅非難など、非難生活を強いられている方が4万4000人もいます。

 今年も、引き続きボランティアにとりくみます。

 葛飾地区委員会としては第16次となる今回の日程は、1月22日(火)~24日(木)まで。
 参加費は、宿泊代と食事代。(概ね1万円くらい)

 交通費とボランティア保険は、救援募金会計から充てます。

 現地での活動は、仮設住宅を訪問し、支援物資を手渡しながら、要望を聞き取ることが中心になると思います。

 ぜひ、ご参加下さい。

民青がボランティア報告会を開催

 これまでに葛飾から、石巻の日本共産党救援センターで活動したボランティアは26チーム・のべ456人に上ります。

 青年たちが、活動を通じて感じたことや今後のことを語りあう集いを開催しました。
 
 写真は、活動報告する天野裕也さん。
 これまで5回、被災地のボランティアに参加しています。
ボランティア報告会P2012_0929_151429
 私も、ゲストスピーカーとして、共産党のボランティア活動の歴史や考え方、実際の支援活動や被災地の現在の状況と求められる課題などをお話しました。

 ところで、原子力規制委員会が発足した途端、こともあろうに、記者会見から「しんぶん赤旗」を排除しました。許されるものではありません。
 「これでは『言論規制庁』でないか!」との批判がわきおこっています。
 

 しょせんこの委員会は、推進側の環境庁のもと、原子力委員会委員長だった田中俊一氏が責任者の機関です。
 これまで、九電やらせメールをはじめ、悪事を暴いてきた「しんぶん赤旗」をどれほど恐れているかを露呈したかたちです。
 さっそく、この話題を「しんぶん赤旗」の読者拡大で、説得の決め手として活用させてもらいました。

 「原子力ムラの連中がこれほど嫌っている『しんぶん赤旗』を、ぜひ、ご購読下さい!」

首都直下型地震でシンポ

 昨日、首都直下型地震から都民の命と財産を守ため、革新都政をつくる会による「五つの提言」を発表する集いが開催されました。

 写真は、その内容を報告する中山事務局長。
革新都政防災P2012_0904_184545
 「提言」は、革新都政をつくる会のHPでご覧いただきたいと思います。

 集いでは、石巻の三浦一敏県議をはじめ、阪神淡路大震災からの復興に取り組んできた方や、震災や土木の専門家によるミニシンポがありました。

 「個人財産への補償は行わないという冷たい態度の国や兵庫県の姿勢にくらべ、2000年の鳥取地震の際には、当時の片山善博知事が直接被災地に何度も足を運んだうえ、『橋をつくっても人が住んでいないなら意味がない』と、開発予算を削ってその分で、一人あたり300万円の個人補償をおこなった。震災対策は、やはり住民の暮らしを大事にする政治をつくっておくことが大切」

 「先日も、津波の直撃を受けながら小中学生全員の命を守った『釜石の奇跡』についてNHKが報道していた。子どもらが率先して非難した。しかし、これに対比されるのが石巻の『大川小学校の悲劇』だ。浦山に逃げようという子どもの声も聴かず、50分間も点呼などにおわれたあげく犠牲になった。規則ばかりを優先した日常の運営がこうした結果になった。大阪などでしばりつけるような教育規制をもてはやす動きがあるがとんでもないこと」

 シンポの最後の発言はとりわけ印象的でした。

 大変豊富な内容の集いでした。

第11次ボランティア

 私自身は10回目となる石巻。
 日和山公園の桜は5から7分咲き。家族連れの憩いの場所としての姿を取り戻していました。 
日和山P2012_0424_141631
 昨年、炎天下でドロ出しした、門脇小近くの墓地はすっかり墓石が建っていました。
門脇小P2012_0424_143136
 しかし、市立石巻病院は被災時のまま…。
石巻市立病院P2012_0424_144336
 牡鹿半島の小渕浜のワカメ業者の収穫のお手伝い。
 更地になってしまった漁港の、かさ上げされら一部で、たくさんの地域の女性や青年が仕事をしていて活気がありました。こうした姿が定着してこそ、本当の復興だとおもいます。

 おりかさ区議も屈強な若者たちにまけずに、わかめの袋詰めとパレットへの積み上げ作業。一袋50キロくらいの重さです。
浜の折笠さんP2012_0425_102329
 若者が去り、子供たちの姿の見えない小さな浜が、将来の展望を描くのは容易ではありません。
 政策的な、豊かできめ細かい支援が求められています。

 先日、宣伝カーで環七を走って信号で停車したら、後ろのトラックから若い運転手が下りてきて、「石巻でお世話になっています」と缶コーヒーを二本差し入れてくれました。つかの間の出会いでした。
プロフィール

新井杉生

Author:新井杉生
 1959年2月、埼玉県吉田町(現・秩父市)の農家に生れる。子どもの頃から山や川が遊び場で、今もテントを背負って山々を巡るのが夏の楽しみ。
 77年原水爆禁止世界大会に初参加以来、反核・平和運動にかかわり、現在も原水爆禁止葛飾協議会常任理事。
 81年から共産党専従、同年結婚。保育士の妻との間に4女に恵まれる。84年に民主青年同盟葛飾地区委員長、その後、同・東京都常任委員の後、足立や葛飾の党地区委員会勤務を経て、13年から葛飾地区委員長。
 09年から総選挙(東京17区)に出馬(同年は葛飾区長選挙も挑戦)、14年は39,724票(得票率18.8%)。
 葛飾区高砂6丁目で、妻、四女、猫2匹と暮らす。

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