ひな祭り&結婚記念日

 娘たちが集まり、お祝いをしました。

 メルボルンの娘親子とラインを見ながら一緒にカンパイ。

 いつも辛口評価の妻がめずらしく「今日の日曜討論の共産党の人の話がとても冷静で言葉に無駄がなく素晴らしかった」という話に「誰?」と言う会話からはじまり、天皇の退位やら、森友学園の話やら、労働組合や職場での党の活動のことやら…、
 いつもながら、会話はつきず、手作り料理もおなか一杯食べました。
 朝からの会議で疲労困憊ぎみの私は先に休ませてもらいました。

分厚い党組織があると警察官の処遇もちがう?

 ポルトガル第二の都市、ポルトで見かけたおまわりさんの自転車です。

 2人の警官が颯爽と走ってきて駐輪し、カフェの中に消えました。
 石畳の街ですから、FサスのあるMTBの方が使いかっていいのはうなずけます。
 さすが、観光都市だけにカッコイイなぁと思って、ワイングラス片手に思わず撮っておいたのですが…。

 先日の田川実さん(党書記局員・国際委員会事務局長)を講師に行った「綱領を語る集い」でお話を聞いてガテンがいきました。

 来年1月に迫った党大会に向け全党討議にふしている決議案は「日本共産党は、戦前、戦後の95年のたたかいを通じて、発達した資本主義国で社会変革をめざす党としては、世界でも最前線に立っている。そのことへの確信と自覚をもち、党創立100周年をめざし、力あわせ前進・躍進をかちとろう」という文章で結んでします。

 田川さんはこの部分について、「『最前線に立っている』っていうのは、『ナンバーワン』という意味ではないんですよ」と言って、ポルトガル共産党を例にひきました。

 昨年の総選挙で緊縮政策に反対した野党が多数をしめ、連立に消極的であった野党第一党に閣外協力での協力を申し出て、新しい政府を作ったというポルトガル共産党。
 その党勢は、人口比にすれば日本共産党の二倍以上で、その方針文書には軍や警察組織の中での活動まで記述されているとのこと。

 …そういえば日本にも戦前は、帝国軍隊内で「聳(そび)ゆるマスト」「兵士の友」などを発行して、侵略戦争に反対してたたかった日本共産党の組織がありましたが。
 
 ポルトガルの警察官の自転車が、日本の警察のような廃棄された自転車をリサイクルしたようなのでなく、職務にふさわしいものになっているのも、現場の声を反映させるたたかいがあってのことなのでしょう。
 世界でも日本でもすすむ、平和を求め格差と貧困を打開するたたかいへの確信を感じた一コマでした。

“幸せは普通の暮らしの中にこそ”

 昨年の「しんぶん赤旗」の”潮流”を読んでから、図書館に予約して追いかけ始めた「髪結い伊佐治捕物余話」。
 最初は文庫本、途中からは単行本で順調に借りられたのですが、最終巻は予約が80人を超えました。やっと一昨日手に入り、昨日は未収録の3篇を「オール読物」を借りて読みました。江戸市中で健気に生きる人々に、現在を生きる人々を重ね、心揺さぶられながら読み終えました。
 しかし、残念なことに続きを読むことはできません。
 
 「時代小説を舞台に現代にも照射し、人間の普遍的な美徳をすくい取った小説を書きたい」と語っていたという宇江佐真理さん。ご冥福をお祈りします。

2016年、オーストラリアで。

 昨年12月15日、メルボルンにいる次女が出産。
 大晦日の直行便で初孫の顔を見に出かけました。
 妻は先に行っていたので、海外に一人で旅だつのは初体験。

 のんびりと新書と単行本二冊読み終える頃には10時間の飛行も終わり、2時間の時差のある現地時間ではすでに新年。
 入国審査など終え、娘の家についたのは一時半。自宅を出てから15時間で、めでたく初孫と対面しました。
蟄ォ縺縺浩convert_20160111161017
 私自身は、祖父には抱かれませんでした。母方の祖父は早くに亡くなり、父方の祖父は私の生まれる前年に亡くなっていたからです。それだけに、孫に恵まれ、抱くことができ感無量。ありがたいことです。

 オーストラリアでは、安産の場合にはその日に退院することもあるそうで、娘も二泊で帰ってきました。そのかわり看護師さんが様子を見に回ってくれています。
 そのうえ、出産費用は無料!
 社会保障きりすての日本とは大違いです。

 娘たちの家は、空港からタクシーで30分ほどのメルボルンの隣のワラビーという町です。カンガルーに似たワラビーとはスペルがちがうそうで、アボリジニの言葉とのこと。ちょうど北海道のアイヌ語の地名のようです。妻は「蕨市みたい」。
 季節は夏。
 歩いて数分ほどの広大な公園で、飼い犬と朝・晩、一時間ほど散歩し、犬友達とたくさん出会った、思い出深いお正月を過ごしました。

 帰りのタクシーで、「どのくらい滞在したのか?一か月か?二週間か?」と聞かれ「妻は二週間だが、自分は3日間だけ」と言ったら、言葉を失っているようでした。

時局演説会

 9月20日、葛飾の党と後援会の共催で、「時局演説会」を開催。

 「ひまわり太鼓」のみなさんの勇壮な演奏が、オープニングをかざりました。
写真
 “時局”でない演説会が、共産党にあるのか…?などということは問わないで下さい。

 くらし・平和・民主主義のすべてて、暴走し軍国主義日本への道につきすすむ安倍政権。
これに、ストップをかける、巨大な国民的共同と運動をつくる…。
 今日の集いは、その第一歩です。

 バブル時代の区庁舎建替え計画を実行する暴走に、ブレーキがかかり始めたことを報告した中村しんご区議団長。
 セクハラ野次発言に端を発した東京都議会の人権意識の低さに、猛然とアタックをかける党都議団と和泉なおみ都議。

 そして、くらしを守るたたかいや、日本経済のゆがみのおおもとにある問題、そして、世界の中の日本の果たすべき未来について、明るい展望をたっぷりと語った田村智子参議院議員。

 「あぁ、演説会を開催して、よかったなぁ」と、つくづく感じたひと時でした。

パリで

 バスチーユ監獄があったところは、その後、広場となり、今は、1830年の7月革命を記念する塔がたっています。

 ちなみに、「レ・ミゼラブル」の最後の場面で描かれているたたかいは、その2年後の6月蜂起。
バスチーユ_convert_20140911124139

 ショパンやバルザックなども眠る、パリ市内東部の広大なペール・ラシェーズ墓地。
 パリ・コンミューン末期の「血の週間」の、まさに最後の激戦地です。
 ベルサイユ兵は、3万人もの連盟兵と市民を虐殺し、狭いパリ市内は血にそまりました。

 宮崎駿監督の「紅の豚」でマダム・ジーナが歌う「さくらんぼの実る頃」は、この時生まれた唄です。

 最後までたたかった147名が銃殺された壁は、“連盟兵の壁”と呼ばれ、事件の直後から花が絶えることはないそうです。
 「1871年5月21日から28日 コンミューンの死へ」と記されています。
連名兵の壁convert_20140911124241
 この史上初めての働くもの政権の誕生と統治の経験から、マルクスは新しい社会体制への「過渡期」が長期にわたることを導き出しました。

 起伏にとみ、緑あふれる墓地でした。
 近くに、ナチ殉難者の像やエディット・ピアフの墓も見つけることができました。

 レジスタンス解放博物館は、残念なことに工事のため休館中。
 ルイ・アラゴンの「フランスの起床ラッパ」など、若かりし日々に読み語り合ったものです。
 …残念でした。 

「知を力として」

 伊豆にある日本共産党の学習会館で開催された研修会に参加してきました。
 
 会館の玄関わきに建てられている「知を力にして」の碑。
 揮毫は宮本顕治元議長。
蜀咏悄_convert_20140829122643
 戦前の暗黒政治のもとでも、知を力にして屈することのなく、侵略戦争反対を貫いたことで「日本民族の良心をまもった」と評された宮本顕治さん。
 その言葉を胸に刻んで参加してきました。

猛暑の夏

 7月29日、葛飾区労連の恒例、ビアパーティが開催されました。

 区内の沖縄料理店のステージで踊っている方が参加。
①_convert_20140803102549
エイサーも
②。_convert_20140803102701
 日本航空による不当解雇をたたかう原告団の客室乗務員の方が、原職復帰への訴え。
 
 安全よりも利益を優先し、もの言う組合を狙い撃ちにした弾圧は絶対に許せません。
 …もうすぐ29回目の御巣鷹の日がやってきます。
④_convert_20140803102823
 7月13日には、葛飾地区委員会で長く活動された三人を労い集いが開催されました。

 こちらでも、沖縄民謡が披露されました。
③convert_20140803102741
 今、連日、核兵器全面禁止のアピール署名の宣伝で、葛飾区内各駅をまわっています。
 夕方になると、すこし熱気がおさまりホットします。

「歴史に学ぶ」と言うこと

 ミュンヘン大学の正門前の石畳には、白バラのメンバーとその活動が、彼らの配ったビラに模して埋め込まれています。
白バラタイル_convert_20130917165156
 正門を入るとロビーがあり、彼らがビラをまいて大学の警備員につかまったバルコニーがそのまま。
 多くの学生が、くつろいでいました。

 正面(写真では左側)の壁の裏側、半地下状の部屋が「ホワイトローズミュージアム」となっています。
 日本の著書も四冊、展示されていました。
バルコニー_convert_20130917165729
 正面の壁の右下に、ゾフィー・ショルの像が銘板とともに掲げられています。
ゾフィー_convert_20130917165445
 彼らが命がけの抵抗をした目的はなにか…。

 それを同じミュンヘンの近郊の、ダッハウ強制収容所が伝えています。
ダッハウオブジェ_convert_20130917170059
 オブジェが示しているものが、大げさでもなんでもないことを、焼却炉の前に積み上げられた死体の写真が証明しています。
ダッハウ写真_convert_20130917170244
 ミュンヘン大学では、私たちは通用門から入ってしまい、ウロウロ。通りがかりの女性に尋ねると、構内を歩きまわって正門まで案内してくれました。

 広大なダッハウ強制収容所には、平日にもかかわずたくさんの見学者が訪れていました。さまざまな人種が訪れ、若い人も多く、すれ違った女の子にうちのカミさんが話しかけると、「14歳」ということでした。日本人も何人かとあいました。

 ウィーンでは、レジスタンス資料館をさがしたのですが、「近くにあるはずだ」と本屋さんのおばさんに聞いても、犬と散歩している人に尋ねてもわかりませんでした。(後日調べると、実際には資料館の前を通っていたことがわかりました。)
 この国の多くの国民がナチスを支持した歴史と正面から向き合ううえでの、今日まで続く複雑さの反映かもしれません。日本の戦後の歴史と考えあわせてしまいます。

 語学力のない夫婦が、航空会社に勤める娘の勧めで大胆にもドイツ語圏への個人旅行に挑み、片言の英語とあとは身振りとメモ(これは役立ちます)だけで、鉄道やバスの切符の購入や食事の注文をはじめ、何から何まで大変な思いをしました。
 しかしそれはそれで必然的に会話が求められ、パック旅行にはない、得難い経験と楽しい出会いが数多くありました。

お祝いパーティ

 五月の連休以降、息つく間もない日々が続きました。

 都議選も終わり、次なるたたかいがあるとはいえ、一息。

 やり残していた娘たちの誕生パーティと、父の日と、オーストラリアの娘夫婦の一時帰国のお祝いを、まとめてやろうと、中野にいる長女夫婦や、江戸川にいる姪も来て、にぎやかで楽しい食事会となりました。
 
 ケーキの文字の最後は『17(議)席』ということです。

 娘たちは夜遅くまでおしゃべりしていたようですが、私はさっさと寝てしまいました。
プロフィール

新井杉生

Author:新井杉生
 1959年2月、埼玉県吉田町(現・秩父市)の農家に生れる。子どもの頃から山や川が遊び場で、今もテントを背負って山々を巡るのが夏の楽しみ。
 77年原水爆禁止世界大会に初参加以来、反核・平和運動にかかわり、現在も原水爆禁止葛飾協議会常任理事。
 81年から共産党専従、同年結婚。保育士の妻との間に4女に恵まれる。84年に民主青年同盟葛飾地区委員長、その後、同・東京都常任委員の後、足立や葛飾の党地区委員会勤務を経て、13年から葛飾地区委員長。
 09年から総選挙(東京17区)に出馬(同年は葛飾区長選挙も挑戦)、17年は43,138票(得票率19.59%)。
 葛飾区高砂6丁目で、妻、四女、猫1匹と暮らす。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター