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29年ぶりに再開する葛飾革新懇に270人が参加

 88年に結成されていた葛飾革新懇が、30年近い休眠を経て再スタートを切りました。
 開会のあいさつをしているのは、当時の代表世話人の一人であった木村陽治元都議。
革新懇再開縮小版
 葛飾革新懇が結成された消費税が強行された30年前。私自身は、結成直前に民青葛飾の委員長から都常任に移動したため、関わっていませんでした。

 その後、オール与党体制から二大政党づくりや政権選択選挙など、長い「共産党を除く」時代が続きました。しかし、安部自公政権の国のあり方を壊す大暴走が、市民をたちあがらせ、その力が政治の「壁」を突き崩しました。
 区内でも昨年の総選挙で初めて他会派からの応援を受け、直後の区長選でも市民との共同の候補が大健闘。新しい流れが始まっていました。

 この時に、開始された共同の輪をさらに広く強くする、推進の土台になる革新懇が再開されたことは力強い。
 しかも270人もの方がその再スタートに立ち会ってくれたことは、大きな確信となりました。

 強く大きな党づくりも必ず実現させたい。

教育資料館

 葛飾区水元にある教育資料館。旧水元小学校の校舎を使っています。今では23区で唯一残された木造校舎。区の文化財にも指定されています。
 この資料館の廃止条例を明日の区議会本会議で可決しようとしています。 

 しかし、この資料館の値打ちは校舎だけではありません。
 戦前の教育とはどんなものだったかが、手に取るようにわかる資料が豊富に保存されているからです。

 教室のすみにおかれたご真影の入った箱。
 本来は校庭に建てられた奉安殿に鎮座し、前を通る時には、敬礼することが強制されていました。

 また、この校舎は1942年4月。真珠湾攻撃のわずか半年後にあった本土への初の空襲で最初に犠牲になった場所でもあります。
 その時のB25からの銃弾と銃痕。

 14歳の石出巳之助さんが犠牲になりました。

 校舎に対し、どの方向から銃撃されたのかも示されています。

 また、学童疎開の様子も展示されています。

 しかし、この資料館の圧巻は戦前の教科書が手に取ってみることができることではないでしょうか。
教科書展示IMG_0916
 小学校の歴史は、天照大神から教えられていました。
 今でもアメリカの一部の州では、アダムとイブから歴史が教えられているという話を聞いたことがありますが…。 
目次IMG_0915
 チュウギという賞では、部下を救うために立派に戦死したと、讃えられています。
忠義IMG_0913
 軍艦についての章も。
戦艦IMG_0905
 戦前からの教科書がたくさん保存されています。
 惜しむらくは、戦前と戦後でどのように、教育が変わったのかがわかりにくいこと。たくさんの資料が生かし切れていないように感じました。

 しかし、近代日本の教育の歩みを、まさに手に取って理解を深めることができる貴重な教育資料館です。
 近隣諸国とも、歴史認識がおおきな問題になっているときに、せっかく当時の歴史教育などの貴重な資料を公開している資料館を廃止することなど、絶対に止めなければなりません。

沖縄への家族旅行

 還暦を迎えた妻のお祝い旅行に、娘たちが招待してくれることになりました。
 目的地は本人の希望で沖縄に。

 写真は広大な嘉手納基地。3700m規模の滑走路が二本。右側にある海に向かって伸びています。
 ちなみに、那覇空港は3000mが1本で、つい先日も自衛隊ヘリが離陸する旅客機の前を横切り、その後ろからも別の機が着陸してあわやという、過密状況です。
安保の見える丘convert_20150622152741
 左端の道路わきからの階段を上ると「安保の見える丘」と呼ばれる高台です。
 今は道の駅の屋上から広大な基地を見渡すことができます。

 辺野古の新基地建設反対の座り込みテントを訪問した後、東村高江へ。
 大阪から流れ着いたという青年に一時間近く説明してもらいました。
 写真の電線のすぐ上をオスプレイが通過し、乗員たちの表情まで見えるそうです。
高江ィ_convert_20150622152948
 ここも、7月から24時間体制の監視活動になるそうです。
 不屈のたたかいに頭がさがります。

 辺野古のテント村でもらったチラシに、その日の夜、翁長知事を先頭とする沖縄県の訪米団の活動についての、名護市主催の報告会が開かれることがわかり、行ってみました。

 稲嶺市長と渡久地県議(訪問団々長)が報告し、会場からの質問に答えました。
 今回の訪米のこれまでの訪米との最大の違いは、辺野古に基地はつくらせないことを、要請や陳情ではなく、主張するために行ったことだそうです。
訪米報告会convert_20150622153504
 会談の際にはスライドにあるような海上保安庁の暴挙も含め、セルラースタジアムでの35000人の集会の写真なども見せ、説明したそうです。

 翌日は那覇市の不屈館へ。
 瀬長亀次郎さんの生涯と、沖縄の現在のたたかいが豊富な資料で、展示されています。
不屈館_convert_20150622153645
 今、翁長知事や稲嶺市長をはじめ、オール沖縄のみなさんは、瀬長さんのように闘おうと思っているにちがいありません。
 沖縄の過去と現在につながる不屈の魂が伝わってきました。

 そして、最後は若者たちのパレード。
 中高年としては、最後尾をご一緒させていただきました。
沖縄青年_convert_20150622153820
 県庁前ひろばを出発し、ゆいレール沿いに歩いて国際通りを戻ってくるコース。
 高校生や大学生の若者たちが、マイクを握ってスピーチ。
 戦後70年。沖縄と日本の今にたいしてまっすぐと見つめ、沖縄戦を学び、これから歴史に主体的にかかわろうとする思いをストレートにぶつけていました。

 瀬長さんの不屈の魂のバトンが確実に引き継がれようとしていることを実感しました。

 70年前、妻の叔父は知覧から沖縄にむけて出撃し、帰りませんでした。19歳でした。
 その叔父への鎮魂の思いもあり選んだ沖縄の地でした。

 得難い体験をすることができました。

世界の指導者はヒロシマ・ナガサキを訪問しべし

 NPT(核不拡散条約)再検討会議での最終文書から「世界の指導者らの被爆地訪問を求める」の文言を削除すべきではないと思います。むしろ、中国や韓国も他の国際会議で提案すればいい。

 「世界の指導者らは、ヒロシマ・ナガサキだけでなく、アウシュビッツや南京虐殺記念館、南大門刑務所を訪問すべし」

 さまざまな分野の会議で決議をあげる
「世界の指導者らは、チェルノブイリや福島を訪問すべし」
「セミパラチンスクやマーシャル諸島、ネバタ州を訪問すべし」

…世界各地に、埋もれさせてはならない歴史的事実、目をそむけてはならない現実がたくさんあります。

それらを政治指導者らが訪問すれば、どれほど社会進歩に貢献できるか。

 今日は、JR新小岩駅南口で戦争法案に反対するため、宣伝をしました。

 先日、休暇をとって日光・女峰山に行ってきました。
女峰山_convert_20150523151331
 久しぶりの山歩き、しかもかなりハードなコース。
 やっとの思いで山頂に着くと、ぐるり360°の景色が迎えてくれました。
 正面の男体山から日光白根山、上越国境の山々から平ヶ岳、至仏山、燧ケ岳、越後駒ヶ岳、そして遠く飯豊連峰。
 はるか南西には、富士山も顔を見せてくれていました。
 この豊かな山並みを、オスプレイの訓練場にはさせません。
プロフィール

新井杉生

Author:新井杉生
 1959年2月、埼玉県吉田町(現・秩父市)の農家に生れる。子どもの頃から山や川が遊び場で、今もテントを背負って山々を巡るのが夏の楽しみ。
 77年原水爆禁止世界大会に初参加以来、反核・平和運動にかかわり、現在、原水爆禁止葛飾協議会常任理事。
 81年、共産党専従に。同年結婚。保育士の妻との間に4女に恵まれる。84年、民主青年同盟葛飾地区委員長。同・東京都常任委員の後、足立や葛飾の党地区委員会勤務を経て、13年より葛飾地区委員長。
 09年に総選挙(東京17区)に出馬(同年は葛飾区長選挙も挑戦)以来21年総選挙まで連続5度挑戦。
 葛飾区高砂6丁目に、妻・猫2匹と暮らす。

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